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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)8666号 判決

原告 三和千代子

被告 日米石油株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は被告は原告に対し金五十万円及びこれに対する昭和二十七年五月二日から完済に至る迄年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。との判決並仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、被告は昭和二十七年三月四日訴外アジア建設興業株式会社を受取人として金額五十万円、満期同年五月二日、支払地東京都千代田区、支払場所朝日信託銀行株式会社、振出地東京都港区なる約束手形を振出し、右訴外会社は右手形を訴外青柳健三に、同人は更にこれを原告に順次裏書譲渡し、原告は現に右手形の所持人である。原告は右手形を昭和二十七年五月七日支払場所において呈示して支払を求めたところ拒絶せられた。よつて原告は被告に対し右手形金五十万円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日たる昭和二十七年十二月二十七日から完済に至る迄商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶと述べ、被告主張の抗弁事実中本件手形が被告主張のように流通した事実は知らない。その余の事実は否認する。被告は本件手形の振出行為は商法第二百六十五条前段に該当するから無効であると主張しているけれども、本件手形は被告会社代表取締役岩崎晃二郎が訴外アジア建設興業株式会社に対し振出したものであつて、被告会社の取締役徳川圀禎が振出したものではないから商法第二百六十五条前段に付該当しない。仮りに被告主張の如く本件手形が被告会社取締役徳川圀禎から訴外アジア建設興業株式会社代表取締役たる右徳川圀禎に交付されたとしても、右の事実は本件手形面上に全然表われない事実であつて第三者の容易に知り得ないところである。本来手形はその外観に表示された事実に信頼して流通し、その外観に信頼して取引する者を保護してこそ手形取引は円満に行われるものである。若し手形上に表示されない事項を以て抗弁を為すことを無制限に許すとすれば手形取引はその円満な流通を阻害され、手形本来の効用を全うすることは不可能となる。本件についても被告の主張が許されるとすれば今後手形取引を為す者はすべて被告主張のような事実の有無について調査をした上でなければ取引を為し得ないことゝなり、このようなことは不可能を強いることであつて、この点から見ても本件の如き場合が商法第二百六十五条前段に該当すると解することは手形法の根本理念を滅却するものであつて不当な解釈と言わなければならない。従つて被告主張のような事実を以て手形抗弁とするためには手形取得者が悪意であることを立証しなければ、これを以て手形取得者たる原告に対抗することができない。しかるに原告は全く善意で本件手形を取得したものであるからこの点に関する被告の抗弁は理由がない。と述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告主張の事実中被告会社が原告主張の日にその主張のような約束手形一通を振出した事実は認めるがその余の事実はすべて争う、と述べ抗弁として、

(一)  被告会社が本件手形を受取人たる訴外アジア建設株式会社に宛て振出し交付した行為は商法第二百六十五条前段に違反して無効であるから被告会社には本件手形金支払の義務はない。即ち、本件手形は訴外アジア建設株式会社代表者取締役たる訴外徳川圀禎に対し振出交付されたものであるが、右徳川圀禎は本件手形振出当時振出人たる被告会社の取締役たる地位にあつたものであるから、本件手形振出の行為は被告会社取締役会の承認を得ざる限り無効である。然るに右手形振出に当つては被告会社取締役会が承認を与えた事実は全くなく、当時取締役会が開催された事実すらない。よつて本件手形の振出行為は商法第二百六十五条前段に違反し無効である。

(二)  仮りに右被告の主張が理由がないとしても本件手形が流通するに至つたのは次のような事情に基くものである。即ち、前記徳川圀禎は本件手形の交付を受けるや予て知合の竹内挙を通じて金融ブローカー富永広に対し金融を依頼して本件手形を預けたものである。然るに右富永は自己に金融の能力がなかつたため知合の金融業者青柳健三に対し金融を依頼して本件手形を預けたところ同人は約に反して右富永に現金を支払わず手形を着服した。其の後右青柳は手形の正当な権利者の如く潜称して本件手形を訴外神崎孝治を通じて訴外浅山忠祐に白地式で裏書譲渡したのであるが、昭和二十七年四月中旬右浅山が被告会社事務所に来り手形所持人として被告に対し本件手形金支払の意思の有無をたしかめたので居合せた被告会社取締役田島彦太郎及び前記徳川圀禎に本件手形の行方を探索していた際とて驚いて前記事情を右浅山に告げ、被告会社に右手形を返還され度い旨を申出たところ右浅山は快くこれを承諾して手形を白地式裏書によつて被告会社に反還した。よつて被告会社は本件手形の効力を全く消滅せしめ、振出人名下及び裏書人アジア建設興業株式会社名下の印影を抹消した上自ら保管して置いた。しかるところ同年四月二十日頃前記神崎及び浅山が徳川圀禎の許に来り、富永広から青柳健三に対する横領の告訴事件につき警察署に証拠品として提出する必要があるから本件手形の抹消の部分を原状に復して一時貸与せられ度い旨を懇願した。そこで右徳川はこれを承諾し前記田島彦太郎に対し再び本件手形に捺印することを求めたところ右田島は一度これを拒絶したものゝ徳川からの強い懇請もあり、且又徳川は証拠品として警察官に提出することを田島に説明せず、たゞ神崎等に見せるためのみであると説明したので、右田島も不審に思い乍らも神崎等に見せた上で直ちに取り戻すとの諒解の下に再び振出人名下に捺印して徳川に本件手形を交付した。しかるに徳川は田島に対する約に反して右手形を警察官に提出するとの条件の下に神崎に手交し神崎はこれを荻窪警察署警察官に提出したのである。この後如何なる事情によつてか、青柳健三は右手形を手に入れ手形上の権利を取得したと称するものである。

本件手形流通の事情は叙上の通りであるから被告は右の抗弁を主張する。

(イ)  本件手形の振出人たる被告会社代表取締役岩崎晃二郎の第一回の記名捺印は既に抹消せられ、(手形の効力が消滅したことは前述の通りである)第二回目の捺印は手形面上に表示されたゞけであつて手形債務負担の意思は無かつたものであるから被告には本件手形金支払の義務はない。

(ロ)  訴外青柳健三は本件手形を預つた者に過ぎず、正当な所持人ではない。而も原告は右の事情をすべて知つているので、手形面上の記載においては裏書の連続はあるけれども原告も亦右青柳と同様本件手形の正当な所持人ではない。

(ハ)  仮りに右青柳が手形上の権利を取得し、これに基き原告も亦適法に本件手形の所持人となつたものを仮定しても原告は本件手形が融通手形であることを知り乍ら被告を害することを知つて本件手形の裏書譲渡を受けたものであるから被告に対して手形金支払の義務はない。

(ニ)  又仮りに原告が右の事情を知らなかつたと仮定しても青柳健三は本件手形が融通手形であることを知つてこれを取得したことは明らかであり、而も青柳は自ら本件手形金を請求する権利を有しないため取立委任の目的で本件手形を原告に譲渡したものであるから(隠れたる取立委任裏書)原告の知情の有無に拘らず、被告は青柳健三に対する抗弁を以て原告にも対抗し得るものである。

(ホ)  仮りに然らずとするも、青柳健三は自ら被告に請求することの不可能なことを知り原告の名によつて本訴請求を為すものである。従つて青柳から原告に対する本件手形の裏書譲渡は信託法第十一条に違反し無効である。

と述べた。〈立証省略〉

理由

被告が昭和二十七年三月四日訴外アジア建設興業株式会社に宛て原告主張のような金額五十万円の約束手形を振出した事実は当事者間に争のないところである。

被告は右手形振出行為は商法第二百六十五条に違反して無効であると主張するのでこの点について判断する。

右約束手形振出当時訴外アジア建設興業株式会社の代表取締役は徳川圀禎であり、同時に同人は被告会社の常務取締役であつた事実は証人徳川圀禎の証言によつて明かである。従つて右約束手形の振出は被告会社取締役社長岩崎晃二郎名義を以て為されたものであつたとするも、(このことは成立に争のない甲第一号証の一によつて認めることができる)被告会社の取締役たる徳川圀禎が他面訴外アジア建設興業株式会社の取締役として同会社を代表し同会社のため本件約束手形を被告会社から振出交付を受ける行為は取締役が第三者のため会社と取引を為す場合に該当し、被告会社取締役会の承認なき限り商法第二百六十五条に違反し無効であるといわざるを得ない。しかも本件においては右取締役会の承認を得た事実は何等主張立証がないのであるから結局本件約束手形の振出行為は無効であると謂わざるを得ない。原告訴訟代理人は前記のような事実は何等手形の表面上に表われていないのであるから手形の善意取得者たる原告に対し手形振出の無効を以て対抗することを得ないと主張するけれども、手形振出行為に関し商法第二百六十五条違反の瑕疵がある以上、右振出行為の無効は取得者の善意悪意を問わずこれに対抗し得べきものであるから右原告の主張はこれを採用しない。

しからば被告主張の其の余の抗弁事実については更に判断を俟つ迄もなく原告の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものとする。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 入江一郎)

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